2019年1月28日月曜日

明けまして…もうおめでたくないですが。。

年も明けてあっという間に1月も終わろうとしています。そういえばブログ更新してないぞ。ということでお久しぶりのブログです。

昨日ですが大阪で行われた「オキナワへ行こう」というドキュメンタリー映画の上映会に行きました。もともとの用事は、就労支援の研修会がなんと!就労振興センター、主に思春期の発達障害の方を対象とした就労支援をしている事業所、厚労省の方のお話し…とてんこ盛りの研修会が開催されるということで、それにあわせてちょうどいいということで寄り道しました。

大西暢夫さんは写真家で精神科の病院に潜入して取材。そのまま、ありのままを画像で表現してきました。精神科の病院だけでなく、さまざまな社会的問題に対してルポルタージュを書いています。その視点は、たえず相手に向けられていて決して飾ることなく表現されています。

今回は映画の時間には研修会に行かねばならず、写真展を拝見して大西さんにもお会いすることもできました。写真展は、精神科の病院を取材した内容です。「ひとりひとりの人」という写真集を販売(現在は絶版)しており、その写真をパネルで紹介しています。

精神科の病気は、まだまだ社会的に正しく認知されているとは言えません。医療の場である病院に数十年間の入院している方もたくさんいます。何年も社会生活をしていない人が、退院して地域生活をするのはただでさえ大変です。まして、病気のある状態なのでとても大変です。それでも生きていこうとする姿と、それを助け合いながらやっていこうという地域づくりはもっと大変です。しかし、その大変なことにチャレンジすることがより豊かな地域や人や環境を作るのだろうと思います。結果は簡単には出てきませんし、様々な考え方もあろうかと思います。考えて対話すること。それがとても大切だろうなと思いました。

次は三原で大西さんにはお会いできるようにしたいと思いながら次の研修会に行きましたとさ(ちゃんちゃん)。

2018年12月29日土曜日

アート展おわったー

今日は障害者週間啓発事業の一環で行っていたアート展「三原の仲間たち展」の片付けを行いました。講演会もあった15日(土)から昨日の27日(木)まで毎日12日間のロングランでした。作品は約100点。特別支援学校の作品。あいサポートアート展巡回展。三原の方々の作品など多種多様でした。
アートの世界は個性があって当然の世界で正解もありません。ですが、最近の小学生さんの作品を観ると皆さん同じような絵を描くことが多くなっているように思います。逆に特別支援学校の児童さんの作品は本当に個々人異なる作品でした。人によって、何がいいかはそれぞれですが、障害を持っている人たちの表現は非常に面白いです。できたら混ざり合う世界を作っていけたらいいなとも思います。

2018年12月24日月曜日

お別れをしてきました

メリークリスマス。という日に旅立ちを見届けてきました。まだまだお若くて50歳代の女性の方です。この4年間ほどは闘病されていることを知らずお会いしていました。きっとまだまだやりたいことがあったんじゃないかな、と思うと悔やみきれません。この1年は身近な方の旅立ちに接することが本当に多くなりました。自分の親くらいの方から、自分より若い方も亡くしてしまいました。死に向かって生きる。この言葉を聞いたのはガンの患者さんからでした。死を意識するからこそ、生を大切に出来る。今という一瞬を精いっぱい生きようとすることができる。もちろん。充分にやりきれるような人生なんてまだまだですし、未熟なのですがやっぱり精いっぱい生きていきたいな。と感じる旅立ちでした。
学校の先生をしていたのですが、着ている服が担任として卒業式の日に来ている服を着ていました。先生は卒業したんだね。と思いました。また、どこかで会えるような気がしてなりません。その時に胸を張って会えるように精進していきます。

2018年12月23日日曜日

「帰ってきたヒトラー」を観た

以前から気になっていて観ていなかった映画「帰ってきたヒトラー」を観た。この映画は2014年にヒトラーがタイムスリップして今のドイツの状況を批判しながら、独裁者であるヒトラーは絶対悪なのか、独裁者をドイツの民衆が選んだ結果として独裁者ヒトラーが生まれたのか、という難しいテーマを描いている。何といっても、リアリティーとフィクションが混ざっていて、観ている方も本当にタイムスリップしてきたんじゃないのか?現在のドイツはいったいどうなってるんだ?と混乱してしまうくらいの出来栄えだった。リアリティーが感が強いのが、実際の市民や党首まで出てきて完全にアドリブだったり突撃取材したりして、そのまま映画に使っていること。あのドイツ。ネオナチ、極右もいれば極左もいて毎日のようにデモ行進しているような中に、まさに軍服で入っていくのである。身の危険もありながらの撮影だったらしいが、そこまでするのがすごい。しかも、ただのバラエティ映画(映画の中ではバラエティ感もあったが)ではなく、誰の心の中にもある独裁者がヒトラーを生んだのだという強烈な締めセリフ。テレビ番組を観ては奈落の底に落ちている無様な姿を世間にさらしていると批判。また、映画「最期の12日間」のオマージュも含まれるシーンなど、ただの映画ではなかった。
私が思ったのは、今の日本も同じじゃないか?と感じた。移民問題は、外国人労働者の問題と大きくかぶる。愛国精神とかいうと違うと思うが、日本人としての生き方や信念は大きく揺らいである。単純に多様化とか国際化ではなく、やはり独立と自立の精神から、個の確立と、個の成長のひとつの過程として多様化していく必要があるのだが、形だけが先走っていると思う。この映画でも貧困、環境問題などは取り上げられているが、ドイツでも日本でも軽視され、主要な議題にあがることはかなり少ない。外から労働者やお金を持ってくるのではない、この地域の人たちでできる社会を作らなくちゃいけない、というメッセージは同じだなぁと感じた。
誰の中にでも独裁者がいて、ヒトラーがいなくなっても誰かがその役割を演じる。アメリカ、ブラジル、ドイツ、日本と独裁的な指導者が現在は多くいる(共産主義はのぞいてだ)。時代は独裁者を望んでいるのか?ドイツから学ぶものは非常に多い。この映画でそれを感じた。

2018年12月18日火曜日

就労定着支援事業って?

今日は会議に参加しました。テーマの一つに就労定着支援事業というのがあります。福祉サービスとして、企業で働く障害者に就職して3か月以降から6か月間くらい、職場に定着するための支援を行うものでして、今年度から開始されています。企業に就職するとこれまでは、ゴールしたように感じていて、ゴールした後にも支援って必要なの?と思われがちですが、働くことはできても働き続ける事で新たな困難も生じることもあります。それまでは、あまり相談することも具体的に支援することもできなかったのですが、それができるようになりました。
企業で働く時に多かれ少なかれ人はある程度の支援というか助けは必要です。仕事をおぼえる、悩んだ時に相談する、生活の中で仕事を位置づける…などなど普通でも難しいことですし、人によって働き方も全く異なります。また、企業によってもいろんな環境があります。どれをとってもひとつではないことに挑戦していくのですから、簡単に支援もできないのだろうと思います。
この就労定着支援事業はまだまだ手探りな制度かなと思います。この制度を活かしていくのもダメにしていくのも現場の力を結集できるかどうか…だろうと思います。地域でうまく活用できるように作り上げていったらいいなと感じました。

2018年12月16日日曜日

障害者週間啓発事業講演会をしました


障害者週間は12月3日から9日ですが、15日(土)から27日(木)までアート展を開催中。15日(土)は講演会をしました。桂福点さん。ミスターかわづさん。わっきーさんに松本画伯。100点を越えるアート作品。当事者の自己表現ができる場と機会をつくること。できればいろんな人に感じてもらうこと。が目標です。
場所はリージョンプラザの展示ホール。会場としてはみなさんに知名度もあるし街の中心(っていったいどこだ?)にある施設です。
滞在時間はアート展は長くて30分くらい。講演会は最大2時間です。1年間は365日。1日は24時間なので、1年間は365×24=8,760時間。1年の2時間は1年間の0.02%です。この0.02%をそれだけの人と共有できるか?が勝負です。
どのようなことを感じてもらうか。それは、彼らの物語だったり、彼らの見方が社会や自分や世間にどのような影響を与えるかを考えてもらうことだと思っています。
障害者は三原市では100人に7人。小中学生の数とだいたい同じです。その数が多い少ないではなく、周りにいると感じられるかどうか…です。
多くの場合、病気になれば障害を持てば、それまでの人生と違う生き方を余儀なくされます。しかし、生きていく権利を奪うことはできません。生きていくためには何かをしなければいけません。食事、睡眠、入浴とか学校に行くとか働くとか…。身体が動かなくても、動くのと同じようなことができていかなければ生きていけません。その人にとって必要な活動はそれぞれに違います。違いを認め合いながら地域社会を作っていくこと。言葉では簡単ですすが、やろうとすると難しいです。これは障害者とかではなく国籍とか性別とか…いろんなことに関係していると思います。みなさんが住みやすい街になればいいですね。

2018年12月12日水曜日

最期まで現役

同僚の親戚の方が他界しました。ガンだったそうです。定年を迎える頃に再発発見。仕事を休みながら定年を迎えて、なんと亡くなる一週間くらい前にハローワークで失業保険の窓口まで行かれたそうです。鼻から酸素。車いすでの移動。それでも自分だけで歩いて面接官のところまで行って「まだ働く意思はありますか?」に「はい」と。
私は多分2回くらいお会いした方でした。障害者就労支援施設の指導員していたので、作った製品とかを見せていただきました。利用者さんのことを語る口調は家族と同じくらいの立場でお話しされていました。
最期は悟ったのか。家族親戚を呼んで看取られながら息を引き取ったそうです。
最後まで現役。なりたい自分ではなく、やりたいことをやり遂げる。素敵な人でした。ご冥福をお祈りします。