今日は中小企業家同友会の経営フォーラムでした.初めて参加する会.平日のお昼から広島県内500社余りが参加していました.基調講演は中村ブレイス(株)の中村さん.
作業療法士の私は以前から話にはお聞きしていました.海外青年協力隊の友人からも聞いていたし,NHKの番組でも見ていました.おだやかな口調とはうらはらに,実践は非常にタフな話でした.
石見銀山の山奥で起業したこと.もちろん売上もなかったこと.出張もままならないので,同業者の連携を強めたこと,義肢装具なのでオンリーワンのもので技術者の養成も時間もかかること.しかし,それでも世界に通じる技術と魅力で世界に名だたる企業にしたこと.
が,ここからがすごい.自分達にできることを世界で発揮するためNGOからの要請で発展途上国の男の子の義足を作ることになったこと.普通.そうすれば作ってあげて終わります.しかし,それでは成長にあわせて何度も作り変えなければなりません.そこで中村さんは,そこにある材料と技術で義足を作ろうとしました.竹と竹で家具を作る工房です.現地の人で現地の材料でその方の成長にあわせて義足ができれば中村さんの技術は要りません.最初は自社内でも反対.だってそうでしょう.作ろうとしている義足は昭和30年代か40年代のもの.しかも作ったことのない竹で作るなんて…最先端の技術を持っている技術者からすれば「なんで?」です.成長にあわせて作ってあげればそれで済む話.でも,それでは技術の押し売り,だったのでしょう.
結局,義足は現地の材料である竹を使い,作り方は中村ブレイスさんの技術者によって指導され,現地の工房の方が作りました.
足関節はまったく動かない固定式.膝関節も現在あるショックアブソーバーや動きをコントロールするような装置もついていません.戦後の義足の歴史を考えれば,まさに時代を逆行したような技術で作られるもので,技術者としてはまったく好ましいものではなったでしょう.
しかし,その子は希望でもあった義足をつけて一人であるけるようになりました.そして,海岸を歩くこともできるようになったのです.
いい義足(物)を作るだけではない,その人の「やってみたい」を支える環境も作ったこと.その義足を作るのは,やがてその子のお父さんの仕事になりました.
こういうことをやってのける実践がすごかった.中村さんの講演からたびたび聞かれたのは「感謝」という言葉と,経営者としての「判断」.そしてやり遂げる「信念」.感謝と信念と判断.今日は学んだ一日でした.(続)
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