2012年5月21日月曜日

学校に行きました

作業的公正という言葉があります。英語でoccupational justice。以前もこのブログで紹介しました。吉川ひろみさん(県立広島大学)は,この概念の講習会を聞いた後の感想で「この作業をしている時が自分らしいと思えるような,その作業を通してより健康になることができ,人として成長できるような,誰もが皆そんな作業をすることができる世の中を希求するという考えに出会うことができました。」と述べています(copmニュース第21号,2010年12月;http://www.npota.com/ot/copm/copm21.html)。人によって,自分らしく感じられるときは様々です。毎日の生活の中で,そんなに「自分らしいと思える作業がある」といつも感じるわけではありません。夕食を作るのだって,自分のぶんだけ作るのと,誰かと一緒に食べるために作るのは随分意味合いが違います。同じ作業(夕食を作る)だって,意味が違うと,違う作業になるのです。
ちゃんくすで仕事をしていると,学校に行くことが良くあります。学校のカリキュラムは,機会が平等に訪れるように作られています。同じように授業を受けて,同じように宿題が出て,その達成度は点数で表されます。勉強ができた,とか発見をした!ということはあっても,それは評価されず,点数だけが残されてその人を表す指標として扱われます。そこに意味は消えてなくなっちゃいます。
だからこそ,その人の作業ができることや,個性を伸ばすことが大切じゃないかな,と思います。人が成長できるというような,そういう作業に出会える時間と機会と場所を作られれば,多様な社会を生み出せるのでは…と思います。学校に行きながら,そういう視点を学校の先生とも共有できれば,もーハッピーっつーものです。ひとつひとつ着実にやっていかなくちゃ…ですね。

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