2011年8月5日金曜日

涙雨かな


明日は広島市に原爆が投下されて66年目を迎えます。1945年(昭和20年)8月6日は月曜日。当時は週末の休みはなかったそうですが、学校などは新しい1週間の始まりの朝でした。学校は集団疎開で広島市内の子どもたち、とりわけ高学年の子どもは広島市外に疎開していたそうです。夏休みはなく、寺子屋のような形で低学年の子どもたちは学校に行っていたそうです。広島の天候は晴れ。8月3日、4日は豪雨だったそうで、5日の日曜日、6日の月曜日と天気が良かったのできっと洗濯物を干していたんじゃないでしょうか。広島には三菱重工業と東洋工業(現在のマツダです)がいわゆる兵器工場があり、そこが狙われたとあります。6日の深夜に天候を調査するための軍用機が広島上空を飛んでいたらしく、多くの人は空襲警報で防空壕に入り寝不足だった…という声も聞いたことがあります。夏でもあり、防空壕は暑くて、警報が鳴りやむとすぐにみなさんは外に出ていたそうです。月曜日は配給もあり、久しぶりのお米のご飯をお弁当にして出かけた人も多かったようです。そして、いろんな意味での人類への挑戦でもある原爆投下。
福島では地震や津波の影響で原子力発電所がいまだに、そのエネルギーのコントロールができなくて困っています。仕事も楽しみの時間も家族も失った人たちもいます。世界中で自分の人生を脅かされていることを今の時代はインターネットやテレビで知ることができます。
時々でいいですから、自分が生きていることの奇跡を感じたり、自分が何に向かっていくのかを考えたり、歴史を知ったり…そういう時間を持つことが必要だろうな、と感じています。
天気予報にはなく降り出した夜中の雨。明日は66回目の原爆の日。自分自身のこととして受け止めてみようと思います。

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